本当の幸せとは
更新日:2020年9月11日
最近、若く容姿端麗な才能ある方々の自死を受けて、幸せについて考える機会が増えました。
「もっと若ければ」「有名だったら」「お金があったら」「可愛ければ(カッコよければ)」「才能があれば」「裕福な家に生まれていれば」「親から愛情を与えられていれば」「結婚していれば」「スタイルが良ければ」「頭がよければ」「人脈があれば」「子供がいれば」etc…
今までそんな〈不幸の言い訳〉を探しては自分を否定して諦めてきた方々は、これらの出来事をどう感じていらっしゃるのでしょう。
「そんなに恵まれているのに、どうして命を無駄にしたの?」なんて、まだ条件付きの幸せを押し付けるのでしょうか? あるいは、「きっと周りの人に恵まれず孤独だったんだわ。」なんて、知りもしない不幸の原因を見つけようとするのでしょうか?
一体いつまで実体のない幸せにカタチをつけようとするのでしょう。
収入や家庭環境、社会的地位や学歴で人をはかろうというのでしょう。
それは、その方のバックグラウンドの一部を知ることでしかなく、
その方の〈幸せ〉とは一切関係がないように天女は思うのですが・・・
お金がなくても、孤独でも、ユニークな容姿をしていても、
自分が大好きで大好きで幸せな人って、世界にはわんさかいますから。
(日本にいるとその事を忘れがちになりますが・・・。)

『どう生きることが幸せなのだろう?』
それは、誰とも比較しないこと・自分や自分の環境を愛すること。だと私は思っています。
冒頭に書いたような「幸せの条件」だと思い込んでいる幻想を捨て去ったら、誰でも今すぐ幸せになれる、と。「幸せの条件」こそが世の中を窮屈に、人を苦しめていることに早くみんなが気がつけばいい。と願っています。
たとえ何も持ってなくても笑える人でありたいな。と感じる今日この頃です。
天女。
先日お伺いした宮城県・定規如来西方寺で目にした詩です。
【裸にて生まれてきたに何不足】
だれもかれも裸ひとつで生まれてきた。 歩けないまま、しゃべれないままで。
ただ、大地の恵みと光と空気と、まわりの人とのおかげで、今日までこの生命をつないできた。 あるのが当たり前なのではない。なくて当たり前のこの私が何の不足をいうことができるだろうか。 いま生きているこのことさえ、感謝してしきれない喜びなのに。
(街を照らす千のことば より。)