悲しい出来事も全てが財産。

もうすぐ心切ない季節、秋がやってきますね。

その前にお話ししておきたいことをシェア致します。



秋と言えば、

最愛の息子の誕生日、

私が初めて母になった季節でもあります。


そんな息子と離れて暮らすようになって

もう3年を迎えようとしています。



今でも時々テレビ電話をしては、

たわいもない日常をシェアしあってはいますが

自分がどれほど母としての役割を果たせているのかは謎です。

もしかしたら、近所のコンビニのお姉さんの方が

息子にとっては近い存在に感じられるかもしれません。


『私の人生は、私の人生。

息子の人生は、息子の人生。』


そう割り切って自由に気ままに暮らしているように見えるかも知れませんが

母親の役目を側で務めている時の方が精神的にはずっとずっとラクでした。


離れて暮らす息子のことを考える時間・想う時間は、

普通の母親の比ではないように感じられます。


夢に出てくる息子の姿が3年前のまま止まっているときには

目覚めてから何とも言えない喪失感に襲われ、涙した事も多々あり。

瀬戸内寂聴さんも同じような人生を歩まれていて、

御歳98歳になる今でも娘さんを置いて出てきてしまった事を後悔されているとのこと。


(娘さんとも、一時絶縁されていた父親ともすでに和解されていますが、

それでも心の罪悪感が消えることはないそうです。)



あのブッタも、

子供や奥さん・ご家族や財産などの

全てを捨てて旅に出たことは有名な話ですね。



それほどまでに

幼い我が子と離れて暮らす人生は<苦行>のようなものなのです。




そして、

それだからこそ自分の心と深く向き合うことが出来た3年間でした。


(正直「世間の目が気になる」なんて甘っちょろい次元ではなく、

自分の目と向き合いがどこにも逃げ場がなく一番シンドイものです。)




苦しみからの学びは『気づきました!』なんてあっけらかんとシェアできるものでもなく

一人納得し悟り、糧としてきましたが。


そういったことを必要としている方がいるということを知ったので

少しづつそんなこともシェアしていけたら…と、いまは思っております。



さて、そういった見方ばかりをすれば

不幸で壮絶な人生を歩んでいるように思われるかも知れませんが…


それを選択したおかげで得れたご縁や体験は

私の人生を遥かに豊かに充実させたことも事実なのですよ。


(素敵なパートナーとの出会いや、

年に何回も海外へと出かける自由な暮らし、

世間とかけ離れた存在の方々とご縁を頂けたり。

色々な意味で『世界』が広くなりました!!!)


何より息子と離れたことで感じた喪失感・失望感・罪悪感などのどれもが

私の魂を一周りも二周りも成長させ人生に深みを与えてくれたのです。

それらはかけがえのない財産と言えるでしょう。

喜びも悲しみも、絶望も、感動も

その全てが「あって良かった!!」と心からイマは言えます。


(決してリキむことなく、ジンワリと心の奥底から感じるのです。)


結局のところ「自分がどう生きたいか?」なんですよね。

そして、何を選んだとしても得れるものと失うものがあるのです。

例えば、

離婚や退職、堕胎や破産など…


「果たしてこの選択で良かったのだろうか」と

後から心配や不安が襲うこともあるかと思うのですが。


『全てが最善!!』それは間違いのないことなのです。


楽しい出来事は人生の喜びを教えてくれ、

悲しい出来事は人生の学びを与えてくれるものだから。です。


(他人に決められた人生ではそのどちらも得れないはずです。)


そして、

それらの出来事は一つの現象にすぎず、

勝手に意味付けしているのは人間の思想で、

そもそもは間違いも正しいも存在しません。

だとしたら、

常識にとらわれす『最善』と

自分自身が納得できる人生を生きることがベストなのでは?

その事が私が私である意味。貴方が貴方である意味のように感じます。


(私の講演会を手伝ってくれている息子。運がよければ会えますよ〜!)

何だかセンチメンタルになりそうな日に

そのことを思い出して頂けると嬉しいです。

経験し感じる全てが生まれた意味。

それを知りたくて地球にやってきたことを思い出して。


天女。

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あれから10年。 10年前に被災地で生まれた甥っ子は 朝からニュースに出演。 (密着取材を10年間受けています。) 岩手に住む息子は、 黙祷を捧げるために沿岸へ。 私は仙台で生後間もない娘のお世話です。 忘れないこと、伝えること。 そして、未来へ繋がる命と向き合うこと。 それぞれが、それぞれの過ごし方を。 だけれど、心はあの日に寄り添っています。 毎年3月11日は何とも言えない気持ちになりますが、